大川隆法総裁の書籍『心と体のほんとうの関係。』より抜粋で、障害に関する法話をお届けします。

もしもヘレン・ケラーに障害がなかったら?

ヘレン・ケラーは、幼少時の病気が原因で、目が見えず、耳が聞こえなくなりました。しかし、ああいう悪条件がなく、ヘレン・ケラーが普通の体の人として育っていたなら、彼女が、いくら、よいことを文章に書いても、「才女とは、そんなものだ」と思われてしまったかもしれませんし、世界の人たちを、あれだけ勇気づけることは、おそらくできなかったでしょう。

あれだけのハンディを克服してきた彼女だからこそ、「多くの障害者たちに希望の光を投げ掛けた」というところがあるわけですね。

五体満足の人間から、「目が見えなくても、耳が聞こえなくても、足ることを知って生きなくてはなりません」と言われると、反発する人は、たくさんいます。ところが、自分の実際の経験を通して、光り輝いてきた人の言葉には、強いものがあるのです。

ハンディに立ち向かう姿は世の手本になる

高級霊たちは、ときどき、「大悪人が立ち直る」という現象をつくることによって、似たような人たちに、立ち直りの契機を与えることがあります。

生まれつきの聖人・君子のような人が道を説いても、それに反発する人はたくさんいます。「おまえは、たまたま、そういう人間かもしれない。それなら、おまえは、清い水に棲(す)んでいればよい。俺たちは、溝(みぞ)のなかの濁(にご)った水に棲んでいる魚のようなものなのだから、俺たちの気持ちが、おまえのような、清流に棲む魚に分かりはしないのだ」と言う人がいるわけです。

そこで、こういう人たちを救うため、大罪人のなかに、一定の率で、立ち直る人が出てくるのです。

1990年代のアメリカでは、強盗の親分だった重罪人が立ち直り、スター・デーリーという名で神の道を説きました。それを見た人は、「あんなやつでも、ああなるのなら、俺のように、ちょっと悪いことをしたぐらいの人間も、立ち直れるのではないか」と考え、希望が持てるようになります。そういう方便もあるのですね。

たとえば、心臓が悪くても、「これで私は不幸になりました」と言って一生を終わるのではなく、そういうハンディを持っていながら、人並み以上のことをいろいろと行うと、それが他の人々にとって救いの光になることもあります。そのため、優れた人が何らかの障害を持って生きることもあるのです。

そういう手本を見せるために、あえて重度の障害を持って生まれてきたりするわけです。

障害を抱える人が持つ、聖なる使命

昭和の時代にも、知的障害のある天才画家として、貼り絵で有名な山下清という画伯がいました。彼は高級霊で、菩薩界の人です。光の天使が、障害のある人に勇気を与えるために、ああいうかたちで出たのです。

あの世の人たちから見ると、「光の天使が、あんな知的障害になってしまって、かわいそうに」とも思えるのですが、それは、もっと大きなことのためなのです。それは地上の人間には分からないのですが、「障害を背負いながら一生懸命に生きて、他の人の模範となる」ということです。

結局、答えは、「人生は一冊の問題集」という言葉に還っていくでしょう。

偉い人であっても、そういう病気になることがあります。それは、人々にいろいろな生き方を見せるために、やっていることなのです。

したがって、何らかのハンディがある人は、「自分も、そういう使命を持っている」と考えて、頑張っていただければと思います。

★ザ伝_スペメ

※本記事は機関誌「ザ・伝道」3月号(No.220)に掲載されています。機関誌は全国の幸福の科学の精舎支部にご用意しておりますので、ぜひお気軽にお立ち寄りください。


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