大川隆法総裁の書籍『新時代の道徳を考える』より抜粋。

天才物理学者が非暴力思想を変えた理由

人間であろうと、動物であろうと、植物であろうと、命あるものに対して、無駄に、いたずらに、命を奪ってはならないのです。

この世において、すべてのものが、その使命を全うしようとして、また、その人生を全うしようとして努力しているわけですから、そうした幸福感を、むやみに奪い去るべきではありません。「一生、幸福に生きたい」という人間を、何の理由もなく殺したり、重傷を負わせたりするようなことは正しいことではないのです。

しかし、「国家の緊急事態的なこと」になってきた場合、考え方を変えなければならないことがあります。

要するに、自分個人の命を全うする尊さを選ぶよりも、もっと大きな価値を守らなくてはいけなかったり、国土のために戦わねばならなかったりすることがあるわけです。

例えば、第一次大戦が終わったときには、アインシュタインも、「いかなる理由においても、人殺しは犯罪だ」というようなことを言っていたにもかかわらず、ナチスが登場したことで、その考えを変えました。彼は、「ナチスが六百万人ものユダヤ人を殺す」という大殺戮が起きたのを見たわけです。もちろん、彼自身は、運よくイギリス経由で逃れることができたものの、あの大殺戮を見て、「絶対に人を殺してはならない」という考えについて撤回しました。

そして、第二次大戦からあとは、「私は、人殺しには反対だ。平和を愛する者である。しかし、そういう私であっても、私自身を殺しに来る者と、私の家族を殺しに来る者に対しては、銃を持って戦う」というように考え方を変えたのです。

「平和」を唱えて侵略を招くという皮肉

私も基本的に、人を殺すことをよいことだとは思っていません。しかし、例えば、「近くにある大国が、侵略の野心を持って、近隣の国に対する侵略の準備をしている」ということが客観的事実として見えたら、やはり、「ある程度防衛して、悪を犯させないようにする必要があるのではないか」と考えるタイプです。なぜなら、そうしなければ、もっとひどい結果が来るからです。

安保法制に反対している人たちなどが、「平和主義」とか、「人命は尊い」とか、「戦争法案反対」とか、「立憲主義に違反してけしからん」とか、いろいろ言ってはデモ運動をしていたわけですが、その結果、どうなるのでしょうか。

それは、十倍、二十倍と、武装を進めて海洋進出を図ろうとしている国を有利にしたり、あるいは、勝手に海を埋め立てて飛行場をつくり、他国の侵略を狙っている国を助長したりしていくだけのことになるわけです。

そういうことであれば、必ずしも「平和主義」とは言えない でしょう。

「後世からの観点」という選択基準

そのように、マクロとミクロの両方を見なくてはいけないので、「正しさの観念」も非常に難しいとは思いますし、私も基本的には、「人を殺すべきではない」と思っています。

しかし、私も、大きな価値観のため、あるいは、国土を護ったり、自分の仲間たちや、家族、愛する者たちを護ったりするためであれば、「ソクラテスが戦場に出たように、私自身も戦場に出ることがあるかもしれない」という気持ちは持っているのです。

やはり、どう考えても被害が出る場合もあるわけですから、そのときには、「後世の観点から見て、どのように行動するべきであるか」を考えなくてはいけないでしょう。


※本記事は機関誌「ザ・伝道」5月号(No.215)に掲載されています。機関誌は全国の幸福の科学の精舎支部にご用意しておりますので、ぜひお気軽にお立ち寄りください。


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