大川隆法総裁の書籍『先祖供養の考え方』(宗教法人幸福の科学刊)より抜粋で、供養の心がまえについてお伝えします。

分かりやすい経文に宿る「救済力」

幸福の科学の『祈願文(1)』にある「仏説・願文『先祖供養経』」は、現代語で非常に分かりやすく書いてあります。

通常、先祖供養をするときには、お寺のお坊さんが来て、『法華経』や『般若経』などのお経を上げるわけですが、そういう漢文のお経は、たいていの霊には言葉の意味がわかりません。

しかし、当会の「仏説・願文『先祖供養経』」のように、非常に分かりやすい経文であれば、みなさんがそれを聞いて理解できるのと同じく、亡くなった人でも理解できるのです。分かりやすい言葉で書かれていることで、かえって救済力が増すわけです。

「祖先の徳」を示す子孫からの感謝

先祖といっても、天国に還った人と地獄に堕ちた人とに大きく分かれます。

天国に還った場合は、「この世の修行を見事に完成して、卒業した」ということになります。死というものは、いわば、この世の卒業式であり、あの世へ行くことは入学式なのです。

したがって、ほんとうは、死はおめでたいことであり、遺された人たちは、天国に還った人に対して、「見事に修行を終えられ、おめでとうございます」と言うべきなのです。

そして、「私たち子孫は、先祖のみなさんを誇りにしております。みなさんを手本にして、努力・精進してまいりますので、どうか、私たちをご指導ください。また、みなさんのご恩や徳に報いるため、毎年、お彼岸やお盆の季節には、みなさんに感謝させていただきたいと思います」と言えばよいのです。

子孫から「ありがとうございます」と感謝されるということは、先祖に徳があったことを意味します。

また、友人や知人が亡くなった場合も、地上の人が思い出してあげると、彼らは、うれしいものなのです。

救いの縁を与える伝道

大変なのは、地獄に堕ちた人の場合です。

「自分は地獄にいる」という事実を知るのは辛いことですが、その事実に気づくことは、そこから出るための第一歩です。

自分が死んだことに気づかない場合もあります。不慮の事故などで亡くなった場合には、そういうことが多いようです。

生前、仏法真理を信じなかった人は、死んで霊になったからといって、急に理解するようになるわけではないのです。

したがって、生きているうちに仏法真理を知っておくことは非常に大切です。伝道の根拠も、ここにあるのです。

供養の際に心がけるべきこと

幸福の科学では、総本山・正心館において、「総本山先祖供養大祭」や「永代供養」等を行っており、全国の各支部においても、「幸福供養大祭」を行っています。そのときには、供養する側であるみなさんも、自身を振り返ってほしいのです。

先祖や水子、幼くして亡くなった子供などに、正しい道を教えるには、自分自身が仏法真理を学んでいなければいけません。よく学び、よく実践してこそ、よく伝えることができます。

したがって、遺された者たちは、徳を積み、先祖や、縁のあった諸霊の成仏を祈ると共に、「自分の子孫に対して借金を残すような生き方、のちの世の人たちに迷惑をかけるような生き方は、断じてするまい」と思って生きることが大切なのです。

これが、供養の考え方の根本です。


※本記事は機関誌「ザ・伝道」3月号(No.208)に掲載されています。機関誌は全国の幸福の科学の精舎支部にご用意しておりますので、ぜひお気軽にお立ち寄りください。


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